自然と共存するネィティブアメリカンの教え
なぜ、自分がネィティブアメリカンに惹かれてるのか・・・
そこには、いくつもの理由があります。
そもそも、子供の頃のネィティブアメリカン(インディアン)といえば、TV・映画にちょこっと出てくる、酋長、アパッチ、ジェロニモ、「インディアン嘘つかない」、etc...、
その頃は、それほど関心もなく・・・
興味が湧いてきたのは、20代の後半になってからのこと。
シルバーやターコイズを使ったインディアンジュエリーやチマヨブランケットベストに出会い、
ホピ族・ナバホ族・ズニ族など初めて見聞きする新鮮な響きと相成って、この頃からベクトルが動きだしました。
それから数年後、日本にも「ゴローズ」が話題になり一気に人気沸騰。
その「ゴローズ」を手がける高橋吾郎氏は、
ラコタ族の過酷なサンダンスの儀式に参加し、
真のインディアンの称号を受けた貴重な日本人なのです。
「日本にこんな人がいたんだ・・・」と絶句。
更にベクトルが動いたのは、40過ぎてから。
カルロス・カスタネダ著「呪術師と私〜ドン・ファンの教え」を知り、これを読んだ時でした。
我がバイブル、津本陽著「柳生兵庫之助」ともリンクする部分があり、興味アップ!
剣術の修行「山ごもり」「無言の行」の場面でとてつもない恐怖や幻覚に襲われるという場面が「ビジョン・クエスト」と被り・・納得。
村上春樹著「カフカの海」にも、鬱蒼とした深い森に身を置く場面でとてつもない恐怖や幻覚に襲われるという場面が出てきます。
深い森と言えば、日本では昔から「鎮守の森」と言われ拝み奉られてたけど、最近耳にしなくなりました。 チョット哀シイ ....
*「鎮守の森」はトトロに出てくるような所だと思って下さい
剣術の修行「山ごもり」「無言の行」で身につける不思議な力のひとつは、
目の前の相手の動きを察したり、後ろから攻撃してくる敵の気配を感じる「心眼」「観の目」。
時には木々や鳥が何を言ってるか分かったりもします。
今風に言えば、超能力・予言とでも言いましょうか・・・
そして、暗いうちから山へ登り、頂上で裸になり全身で浴びる「ご来光」。
これも意味深・・・
自分で体験してる訳じゃないけど、とても興味深いのです。
このように、日本では、昔から目に見えないものを大事にしてきました。
「神さまが見てる」
「お天道さまが見てる」
「ご先祖さまが見てる」
大人たちから、こんな事も教えられませんでしたか?
他の人が見てなくても、神さま・お天道さま・ご先祖さまが見てるから、悪いことはできないんだ・・って。
そして、手を合わせ、詣でる・拝む・参る・祈る・願う・頼む・etc...こと。
これは、礼儀・作法にも通ずるものがあります。 コレハ、チョット深イ ....
現代の日本は、戦後の急成長で、道路が整備され、住宅環境も良くなり、食材も豊富になり、
様々なモノが不自由なく手に入るほど便利になりました。
豊富・便利になったこと、これは生活する我々にとって、とてもありがたいことです!
しかし、主体を「人間」から「自然(地球)」に変えてみると・・これらのほとんどは良くない事。
地球で生活してる人間は、自然を破壊してきた地球の天敵とも言えるでしょう。
ネイティブアメリカン達は、この辺りの感覚・考え方が違うのです。
自然を敬い「共存」してるんです。
日本では、道路を作る度、街を作る度、木々を伐採し、山を切り崩し、アスファルトやコンクリートで埋めてしまう・・・、さしずめ人間ならば、呼吸ができなくて窒息してしまうかも・・。
地震や噴火は、もしかして地球が苦しみもがいて起こるんじゃないかな・・なんて考えてしまいます。
大雨・大雪・夏の高気温にしても、以前はここまで酷くなかったはずです。
人間の生活が便利になればなるほど、自然に異常が起きるのだと思うのです。
自然に異常が起こるのは、地球が怒ってるんじゃないか・・って。
正に+プラスと-マイナス !!
「自然」は時にはありがたく、時には災害まで発展します。
「自然」は人間が自由にコントロールできるものではありません。
そんな現代だからこそ、昔の日本人、そして自然と向き合って生きてきたネイティブ達の伝統・文化から学ぶものが多いと考えてしまうのです。
Mitakuye Oyasin 私に関わるすべてに祝福を!
(^O^)/~~ see you !